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盛岡地方裁判所 昭和32年(わ)139号 判決 1958年10月23日

被告人 三浦貞昭

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実は、「被告人は、Bに雇われて道路開設工事に従事しているものであるが、昭和三二年一二月四日午前二時頃、和賀郡湯田村当楽地内伊藤建設の板倉飯場宿舎において雇主Bが不在中なるを奇貨として同人の妻無職A(昭和五年一月二〇日生の二七歳)を姦淫しようと決意し、右Aの寝室に忍びいり同女が一人り炬燵に仰向けに寝ていたのに対し正面から同女の腹に乗りかかり「声を出すな声を出すと一生なおらない傷をつけてやるぞ」と申し向けて脅迫し剰さえ同女の口を塞ぎ片手でズボンやズロースを無理にはずして同女の反抗を抑圧して強いて姦淫し、その際同女の左手腕関節に全治七日間を要する打撲傷害を負わしめたものである。」というにある。

よつて、考えるに被告人が伊藤建設板倉組組長Bに雇われ和賀郡湯田村字当楽地内湯田ダム国道付替工事に従事していたところ、昭和三二年一二月四日同地内板倉組飯場内の右Bの妻Aの居室に天井から忍び入り、同女の夫が不在中なるを奇貨として右A(当二七年)と情交関係を結んだことは、被告人の第一回公判調書中における陳述記載、被告人の第七回公判廷における供述、被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、証人Aの第三回公判調書中における供述記載、司法警察員作成の実況見分調書により明らかである。

ところが、被告人は公判廷において終始右情交関係は和姦であると弁疏するのに対し、Aは被告人から強いて姦淫されたものであると述べ、両者の供述内容はこの点において全く相対立している。そこで右情交が起訴状記載の如く被告人の暴行ないし脅迫によつて行われたものであるかを検討する。

一、被告人とAの交際関係

まず被告人とAの平素の交際関係について考えるに、被告人の第七回公判廷における供述、被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書、証人Aの第三回公判調書中における供述記載、当裁判所の証人田中銑三に対する証人尋問調書、渡辺健、小林清之助の検察官に対する各供述調書、渡辺健の司法警察員に対する供述調書、Bの告訴調書、当裁判所の検証調書、検察官及び司法警察員作成の各実況見分調書を綜合すると、被告人は昭和三二年四、五月頃からBに雇われ、同年九月頃まで板倉組の工事資材の記張、酒、タバコ等の日用品の受払いなどの会計事務を担当し、それ以後は一般の土工として働いていたものであり、AはすでにBとの間に二子をもうけていたがこれを実家に預け夫とともに前示板倉組飯場に居住しもつぱら炊事関係の仕事をしていたが、その居室内には被告人の取扱う工事資材や日用品を保管していたので被告人とは仕事の面で一般の土工よりも接触する機会が多かつたこと、被告人は板倉組飯場が建設されるまで一時B夫妻とともに幕舎生活をしたこともあり、飯場ができてからはその居室と幅員七五糎の土間を隔てた土工部屋に寝泊りし、また暫らくの間手廻り品を同夫妻の居室に置いていたこともあつたこと、このようなことから被告人はAの居室にしばしば出入りし、また勇一はとかく飯場の方には不在がちで七日か五日に一度位しか泊らず、被告人はその不在中にも平気でAのところに遊びに行つたり(Aはこれを否定するけれどもその供述記載部分は前記渡辺健、小林清之助の検察官に対する各供述調書、渡辺健の司法警察員に対する供述調書に照らして信用しない)、また夜遅く酒を飲んできては戸口で「おいこら戸をあけろ」などと大声で冗談口をきいていたこと、昭和三二年秋頃Aが腰をいためて北上市の医者に通つたとき被告人が付添いについて行つたり、Aに対して金を貸したこともあり、他方被告人はBから特別に皮ジヤンパーを買つてもらつたり、Aからも病気のときには金を出してもらつたりして一般の土工達よりも古くからのよしみで色々と目をかけてもらつていたこと、このような関係で被告人はAと気軽く口のきける仲であり性病があることまで打明けられていたこと等の事実が認められ、被告人とAの交際関係は他の一般の土工に比べて頻繁且つ相当に親密な間柄にあつたものと見ることができるのみならず、さらに双方の年令、地位、B夫妻の前示のような夫婦関係、前記渡辺健の検察官及び司法警察員に対する各供述調書により認められる被告人の従来真面目でおとなしかつた性格等を併せ考えると、むしろAの方で被告人を愛撫していたとも考えられないわけではない。

二、情交前後の被告人及びAの行動並びに経過時間の関係

被告人の公判廷における供述及び司法警察員に対する供述調書、田中銑三、小林清之助の検察官に対する各供述調書、小林清之助、及川正の司法巡査に対する各供述調書によれば、昭和三二年一二月四日被告人が及川正と飲酒して藤崎商店を出たのは同日午前一時頃であり、同店から板倉組飯場まで酔つて歩いても三、四〇分であること、被告人が飯場に戻つて直ちにAの部屋に忍び入つたこと、被告人は飯場に戻つたとき田中銑三等の姿を認めており銑三等は同日午前〇時頃飯場に戻つてきたと考えていること、渡辺健、小林清之助はいずれも一二月三日午後一一時半頃飯場に帰つてきて床についたが丁度うとうとした頃に誰かがAの部屋に入る物音を聞いたこと、被告人はAの部屋へ入り直ちに情交を求め一五分間位で情交を終えたこと(この点につきAの供述記載によると一時間位かかつたとあるが検察官の取調に対しては五、六分位と述べているので措信できない)が認められるので、結局被告人は一二月四日午前二時頃までにはAと情交を終つたものであるというべく、そして被告人はそのまま同日午前六時頃までAの居室に寝ていたことは前掲証拠により明かである。

他方情交後のAの行動についてみると、証人Aの第三回公判調書中の供述記載によると「情交関係が終つて直ぐ部屋を出て炊事場に行つた。御飯を炊く時間になつていたからです。炊事場に行つてから気持がわるくなつたので便所へ行つた。」(記録一三一丁裏から一三二丁表)「皆が朝飯を食べていた頃に帰つてきました。部屋に帰つてきてまた寝たりしません。」(記録一四五丁裏から一四六丁)とあるが、前記被告人の公判廷における供述、証人Aの公判調書中の一部供述記載及び当裁判所の証人田中銑三に対する証人尋問調書、渡辺健、小林清之助の検察官に対する各供述調書を総合すると、当時板倉飯場における現場作業の開始は午前七時、朝食は午前六時頃であつて、朝食の準備はそれより一、二時間前の午前四時或は五時頃になされており一二月四日も平常通り午前六時頃から七時頃にかけて皆が朝食をとつていたのであるから、特に早く炊事をしなくてはならない事情はなかつたものであり、仮に右Aの供述の如く情交を終り直ちに部屋を出て炊事をしたとすれば午前三時頃には炊事に従事中の筈である。しかるに渡辺健の検察官及び司法警察員に対する各供述調書によれば、同人は同日午前三時頃水飲みに部屋を出たがその際Aの姿を見かけなかつたことがうかがえるし、更に同地の一二月初旬の厳寒を併せ考えると前記公判調書中のAの供述記載は信用できず、かえつて被告人の第七回公判廷において述べている如くAは情交後一旦部屋を出て間もなく戻り被告人と一緒にいたものと認めるのが相当である(尤も、被告人の検察官に対する供述調書中「姉さん(A)はやり終つた後すぐ部屋を出て便所の方に行つた。それつきり部屋には戻つてこなかつた。」との記載あるも右説明により措信できない)。

三、情交の際高声、物音等をたてなかつたこと

当裁判所の検証調書、検察官及び司法警察員作成の各実況見分調書によれば、Aの部屋は北側の小林清之助の寝室である隣室とはベニヤ板で仕切られているのみであり、東側には幅員七五糎の土間通路を隔てて被告人、渡辺健、田中利明、名須川某らの合宿部屋があり相い面している壁は板壁で、すべての部屋は天井板がなく天井は相い通じていて軽徴な物音でも殆んど筒抜けに聞きとることができることが認められるところ、渡辺健、小林清之助の検察官に対する各供述調書、渡辺健の司法警察員に対する供述調書、小林清之助の司法巡査に対する供述調書によると、右両名はAの部屋に忍び込むがたんがたんという物音は聞いているがその後においては言い争う声とか室の震動などその他何も物音を聞いていないのである。したがつて被告人とAはさほど高声を発することなくまた物音をたてるような争もなく情交を遂げたことがうかがえる。

四、暴行脅迫に関する証人Aの第三回公判調書記載の検討

右調書中被告人と情交関係をするに至つた経緯についての供述記載は、「Aは一二月三日夜九時頃本を読みながらこたつに寝ころんでいたが一二時過ぎ頃にねむつてしまつた。それから突然胸苦しくなり目がさめたが、被告人が覆いかぶさるように腹の上に馬乗りになつていたので驚いて声を立てようとしたところ、「声を出すな、声を出すと一生なおらない傷をつけてやる」と低い恐ろしい声で言われたので片輪にされては大変だと思つて黙つていた。さらに被告人からのどのあたりや口や鼻のあたりを押えられたので歯がかけてしまつた。それから被告人は覆いかぶさつたまま同女の着用していたズボン等を下げようとしたので下げさせまいと左手でズボンを締めていた黒色女物皮バンド(証第一号)を押え、右手で相手の顔のあたりを払いのけようとしたが、被告人が胸から右肩の方に乗りかかつてきたので右手の方は重くなつて動かなくなり、また左手は叩かれるかどうかして左手首に傷(これについては後に述べる)をつけられた。この際バンドの止め金がはずれ、また尾錠付近の皮のめくれた部分が切れてしまつた。なお、被告人から「一生なおらない傷をつけてやる」と言われた前後に「親父に言いつけてやる」とも言つた。かようにして被告人に無理に着用していたズボン等をひざのあたりまで下げられ両足をまげて腹の上に押しつけるようにして関係された。このときも被告人の左肩を二回かみついたが無駄であつた。」というにあるところ、(1)右口や鼻を押えられたので歯がかけたとの点については初めは「口の辺りを手の平でおさえて声を出せないようにされた」といい、次いで「後で考えてみたら手の平ではなかつたかと思う」と述べたり、また「相手の男が自分の口を私の口に持つてきたのではないかと思う」とも述べ(記録一三七丁表から裏へ)全く一貫性を欠き瞹昧である。(2)次に押収の黒色女物皮バンド(証第一号)をつぶさに点検するに、その止め金については差えの金具がゆるんでいて(その状態からすると従前からゆるんでいたものと認められる)簡単にはずれるようになつており、また止め金近くの切れている皮は元皮に張つてそれがはなれた薄い皮の部分であり、かつバンドは相当使い古されたものであるから右切れた個所は指等を引つかけなど少し力を加えると切れ易いものであつたことが明かである。(3)のみならずBの告訴調書によると、Aは夫Bに対し被告人は首をしめたり騒ぐと殺すぞ、といつて乗りかかつてきたとひどい暴行脅迫を受けた如く報告しているので、その手前これに近いような供述をしようとしているのではないかとの疑をさしはさむ余地もある(右夫に対する報告内容と前記供述が一貫しないことはその供述の信用性を疑う資料ともなる)。

かかる事実及び前記一ないし三認定の被告人とAとの交際関係、情交時の状況等にAが被告人の親方の妻であつて被告人より五歳も年上であること等を総合すれば右Aの暴行脅迫に関する供述は信用することができない。

五、被告人の暴行脅迫に関する供述の検討

被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書には「被告人が少し布とんをはいだところAは気がついたかどうか一寸顔を動かした。さらに陰部に手をやると同女は「駄目だ駄目だ、親父に知らせるぞ」と低い声でいつたが、被告人は「やらせろ」と言いながら右手で布とんの上から動けないように同女の胸のあたりを押えつけ左手で力まかせに同女の着用していたズボン等をひざの付近まで下げて関係した。その際Aはズボン等をはずされまいとして手で押えていたがこれを払いのけて無理に関係したものであり、このときズボンを締めていたバンドの止め金がはずれた。しかし「声を出したら一生なおらない傷をつける」とは言わないし、相手の口を手で塞いだりはしない。またバンドが裂けたことや左手首に傷がついたことも知らない。」とあり、さらに被告人の第一回公判調書中における陳述及び供述記載、第七回公判廷における供述及び当裁判所の検証調書中の被告人の指示説明によれば、「被告人はAの部屋に入つてからズボンや靴下を脱き右手で肘をついて同女の側に横になり足を女の足の方に押し入れたところ、Aは目をさまして被告人の顔を黙つて見ていた。次いで「今晩姐さんよいか、小林さんが隣にいるから騒ぐなよ」と言つて女の腹のあたりに手を差し入れたところ、Aが「嫌だ嫌だ」と二、三回言つたが、被告人はこれに対し何も言わずに横になつたまま同女にキツスしズボンのバンドをはずそうとした。このときAはバンドの尾錠に手をよこしたが格別抵抗する様子は見えなかつた。結局被告人はバンドをはずして二、三寸同女の着用していたズボン等を下げたが、その後はAが自分で尻を上げるようにしてズボン等の右側をけ落した。それで被告人はAの体の上に上つて関係した。「声を出すと一生なをらない傷をつけてやるとは言わないし、口を塞いだこともない。バンドは引張つたけれども切れる程は引いていない。左手首の傷の点も全く知らない」と述べている。なお、被告人の裁判官に対する陳述録取調書、検察官に対する弁解録取書においては、「一生なおらない傷をつけるとは言わないが、その他は間違いない」と述べているところ、右被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書をつぶさに検討してみると、そこにいうところの「力まかせに」、「無理に」との表現を省くとほぼ前記被告人の公判廷における供述、当裁判所の検証調書中の被告人の指示説明に一致するのであつて、「力まかせに」、「無理に」といつてもつまるところ表現の問題に帰し大して重要な意味を持つものではない。また、裁判官に対する陳述録取書、検察官に対する弁解録取書は、被告人が声を出すと一生なおらない傷をつけてやるとは言わなかつたとの部分に意味があるのであり、その他は間違いないとの点はAにおいて初め拒否するかの態度を示し多少の小ぜり合いがあつたことを自認する以上被告人において強いて争わなかつただけに過ぎず、いずれも暴行ないし脅迫につき決定的な証拠とはなり得ない。

六、以上説明の如くして被告人の公判廷における供述、Aの前掲供述記載に押収のバンドより認定し得ることは、被告人はAの部屋へ入り同女に情交を要求しAがいやだいやだというのにかかわらずAの布とんに入り、隣室の者に聞えるから声をたてるなといつてキツスをし手で寝ているAのズボンを引き下げようとした時、Aはズボンのバンドのあたりを手で押えたが被告人が力を入れてこれを引き下げるのをそのなすがまゝにして情交を結び、被告人がズボンを引き下げるときバンドが切れたものであるというを相当とする。

しかして右認定における被告人の行為は前記一ないし五において認めた事情に照すと未だAの反抗を著しく困難ならしめたものとは認め難く、かえつてAの真意は被告人の要求を許容しようとしながらも表面上右のような拒否するかの如き態度を示したに過ぎないという多分の疑がもたれ得るのである。

七、なお、Aが夫Bに被告人から強姦された旨報告をし告訴したことは前説明中にある通りであるが、一二月三日夜から四日午前六時頃まで被告人がAの部屋に泊つたことは右飯場の土工仲間である渡辺健、小林清之助等において当時直ちに察知していたことも同人等の前掲各供述調書により明かなこと前説明の通りである。したがつて被告人とAの関係につき土工仲間の間に言いふらされていたであろうことを推知するに難くない。さらに証人Aの第三回公判調書中における供述記載、Bの告訴調書によると、Aは事件後直ちにこれが処置のため当時和賀仙人の上杉トリ方にいた夫Bに報告したわけではなく、翌五日は北上に歯の治療に出かけ、同日Aの留守中飯場に戻つてきたBがAを探して同女の北上からの帰路を国鉄和賀仙人駅に出迎えこのようにして始めて夫と出合い、同夜右上杉方で前示のように被告人から強いて姦淫されたと報告し、かくて翌六日北上署長に告訴するに至つたこと等の事実が認められる。

してみると、飯場の風評もあり、また夫に被告人との関係を感ずかれた結果自己の立場を擁護するため強姦された旨を夫に告げたものと疑がわれるので、右夫に対し告げたこと及び告訴した事実を以つて強姦の事実を認定する資料とすることはできない。

八、傷害の点について

最後に傷害の点について考えるに、当裁判所の鑑定証人及川定一の証人尋問調書、及川定一作成のAに対する診断書によると、同人が昭和三二年一二月六日Aを診察したところ、左手首の関節部の外側に直径二糎大に黒血がよつて皮下出血となつており多少その部分がはれていたので、このようなことから全治約一週間の加療を要する左手腕関節部打撲と診断したことが明らかである。

そこで右傷害が被告人の所為により生じたものであるかどうかについて考えるに証人Aの第三回公判調書中における供述記載によると、Aは被告人からズボン等を下げられないように左手でズボンのバンドを押えていたとき叩かれるかして左手首の内側に長さ五糎の平行に走つた二本の爪傷をつけられ、またその外側は骨が何かにぶちつけたように非常に痛んだが、直径二、三寸の黒血のようなものが出きていたかどうかわからない旨供述している。すると、左手首の内側の傷についてはさておき(これについて及川証人はそのような傷はなかつたと述べている。)外側の傷については素人でも一見容易に見わけることのできる皮下出血についてAが気づいていないということは不可解である。しかし打撲を受けた点について両者の供述が一致しているのでさらに検討すると、前記及川定一の証人尋問調書によると、このような傷は堅い物体に打ちつけた場合には簡単にできるが、手を握つた程度ではできないし相当に強い力でひねるようにしなければできないことが認められるのであるから、前示のような被告人との小ぜり合いで果してできたものであるかどうか疑わしいばかりでなく、さらに前示の如く小林清之助らが当夜がたがたと被告人の侵入する音しか聞かずその外は静かであつたことを考えあわせると、仮りに被告人の所為により右傷害が生じたとした場合には恐らくAが痛い位の声を叫ばない筈はないのであるからそのような声もしなかつたことからすれば益々右の疑が大きくなる。しかのみならず当裁判所の証人田中銑三の証人尋問調書及びBの告訴調書により認められる前示田中銑三が一二月四日朝Aから打明られた際にも、Bが翌五日Aから事件の報告を受けた際にもいずれも傷害の点については何らAから聞かされていない事実、さらに前記の如くAの供述自体が瞹昧であること等を併せ考えると、Aの左手腕に前記の如き傷害があつたことは事実であるにしても単純にこれをもつて被告人の所為によるものと速断することはできない。

以上検討したところからすると、前記Aの供述記載、被告人の検察官及び司法警察員に対する供述調書のうち被告人がAを暴行脅迫により姦淫したとの供述部分はたやすく措信できず、その余の全証拠によつてみても本件姦淫行為が起訴状記載の如き被告人の暴行脅迫により行われたとする事実はこれを認定することができない。従つて被告人に対し結局犯罪の証明なきものとして刑事訴訟法第三三六条により無罪を言渡すべきものとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 降矢艮 瀬戸正二 矢吹輝夫)

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